「別に今すぐ幸せになってもいいんだよ」
この言葉は、私が過去の自分に伝えたい言葉の中でも
ベスト3に入るくらい大切な言葉なんです。
なぜ幸せになることに許可を出せないのか
もっと自由に生きたい
生きづらさから解放されて
自分の好きなことをやって
楽しく、もっと軽やかに生きたい
そう思っているのに、なぜか
自分で制限をかけてしまっていることって
ありませんか?
不思議なことに
幸せになる自分に許可を出せないんですよね。
例えば
「今すぐ幸せになってもいいんだよ」
と言われても
「いや、でも生活が」
「でも稼がなきゃ」
「家族が」
「時間が」
といったように、自分で勝手に
色々な制限していることが多いんです。
なぜ、そんな風にしてしまうのかというと
変わったら困るからなんです。
変わった先に何があるか分からない
未知の世界が怖いんですよね。
どうしても、変わった先、
自由になった先に何が待っているのか
自由になった後に何をしていくのか
どうやっていくのか
全てが分かっていて、それが保証されていて
安心安全だと分からないと
なかなかそちらに進めないのです。
だから、幸せになると困ってしまうという
なんだか不思議な心理が働くのかもしれません。
幸せになりたい、自由に行きたいと思いながらも
そちらへ行くことに抵抗があるんですね。
大切にしてきたマイ・ルール
例えば、
「母としてこうあるべき」
「会社を経営しているなら経営者として」
「社員としてこうあるべき」
といった役割意識や
「普通はこうでしょう」
というような思い込みなど
たくさんのマイ・ルールを持っていますよね。
それが、自由になる自分を
邪魔してしまうんです。
本当はもう必要のないことなのに
それらを全部外していったら幸せになれるし
自由になれるのに
そのマイ・ルールを破れない。
そのルールを破ったらどうなってしまうのか
すごく不安だから。
でもそのルールを破る自分を
許してあげられないと
その先には進めないんです。
そもそも、そのルールって
本当に必要なのでしょうか?
このタイミングで
少し考えてみてほしいんです。
例えば、私の場合
「女だから料理を作らなきゃ」
「ご飯を作らなきゃ」と思っていました。
あと、「女は畑をやるものだ」と思って
畑で野菜を作らなきゃと思っていた時期もあります。
仕事に関しても
遅刻は絶対に許せなかったし
「ちゃんとしないと」
「ミスは許されない」
と思っていました。
近所に迷惑をかけちゃいけないとか
人に迷惑をかけちゃいけない
自立しなきゃ
といった「〜しなきゃ」というルールを
たくさん持っていました。
でも、これらのルールを書き出してみると
意外に「全部いらなくない?」ってなるんですよ。
今振り返ると、くだらないルールばかり
持っていたなと思います。
もちろん、当時は全部捨てられなかったし
全部大切なルールだと思っていました。
それを破ったら自分じゃなくなる
自分が終わってしまう
そう思っていたし
ルールを破る自分を許せなかったし
想像もできませんでした。
人に頼ることも絶対にできませんでした。
幸せの基準とマイ・ルールを手放すこと
何をもって幸せなのかという
幸せの基準もそうですが...
「自立してお金を稼いで、ちゃんと生活している。
そうしないと幸せになれない」
と思っていた自分もいました。
でも、実際はそうじゃないんですよね。
「ちゃんとしないと」と思っているうちは
なかなか幸せにはなれないんです。
どんどん「ちゃんとしないと」の世界に
入り込んでいってしまうので
そこに自由はないんです。
本当に今だから分かります。
だから、そのマイ・ルールに縛られて
そのルールを守り続けるのは
もうやめてもいいと思うんです。
それをやめられないのは
変わったら困る理由があるから。
その理由は、未知の世界は不安で、恐怖だから。
だけど、そこに飛び込まないと
見えない世界があるんです。
私もすごく怖かったけれど
周りにどんどん幸せになっていく仲間たちがいたから
私もそちらの世界に行きたいと思って
飛び込んでいくことができたんです。
勇気を持って
今まで自分を縛ってきたルールを全部外していって
「ああ、全部いらなかったんだな」と気づいて
そこでやっと自由に幸せになれました。
皆さん、今すぐ幸せになってもいいですよ。
なれますよ。
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